chidori
@rilantomoko
野球はファイターズ
【きょうはなんの日📆】 7月26日は #幽霊の日。200年前のきょう、『東海道四谷怪談』が初演されたことにちなんで、制定されました。 夏の風物詩として定着した「幽霊ばなし」。今夜は、幽霊が登場する児童文学を三冊ご紹介します。…
右上は森永真理先生かな。作品名、他のマンガ家さんはわからない…。
✨第198回 少コミクイズ✨ 今回はすべての作品名に「ブルー」が入っています!😊 ①昭和47年 ②昭和50年 ③昭和53年 ④昭和54年 それぞれ先生名・作品名は❓ 返信でご回答をお寄せください🤗 答え合わせは水曜日夜9時です🎉
奈良公園でよく、 「鹿がお辞儀してて可愛い〜💕」 などと言いながら鹿せんべいを手に写真を撮っておられる方がたくさんおられますが、鹿のお辞儀は『威嚇』です。攻撃前のモーションです。「早くせんべいを寄越せ」と言っている状態なので、怪我をしたくなければ焦らさずにせんべいをあげて下さい。
〈夫と「じっとしていられないね」と言って事件から4日後、美良生も連れて現場に献花に行きました。〉 やまゆり園事件から9年 奥山佳恵さん「分けている場合ではない」:朝日新聞 asahi.com/articles/AST7T…
遙洋子さん、上野ゼミの特別生になった本が売れていた。私も読んだけどほとんど忘れたなぁ。上野さんの極意「ケンカに勝つのは相手の立場にならない人」のバリエーションなんだろうな、戦意喪失で相手がリタイアしたら不戦勝とかそんな感じで。
昔わざわざ上野御大に喧嘩を習いに行くとか言ってた人いましたよね。大阪の女性タレントだったかな?喧嘩の極意は相手が言ってきたことに「なんで?どうして」と逆質問することだと言ってたような。それって喧嘩というより呆れて戦意喪失させるってことなんでないの?と思いました。まあ勝ち負けなんて…
もうベンジーは愛知県のどこかの市長選に出て、当選したら名前をブランキージェット市にする、高齢者から子どもまでを包括するコミューンづくりを進める、地域の米づくりを増産し、外国産米は市内で販売しない、子どもたちを地元食材で育てるフラワーチルドレン計画を進める、とか公約を掲げてほしい。
私はつらいというより戸惑いかな。ベンジーの場合は共産党や自民党支持よりは参政党の方がまだ「らしい」感じもあって、れいわならありそうなのでこちらの方がよかったけど。ミュージシャンや著名人への政治的発言を躊躇するなという声に対するある意味カウンターにも感じる、とほほ😢だけど。
この2週間でコロナの患者がすごい増えています。 野外で動けなくなったという発熱患者を熱中症かと思って救急搬送を受けたがコロナ陽性でしたってのが何例もあります。 楽しい夏を過ごすために皆さんお気をつけください。
家を出る直前に氷菓を食べるとあまり汗をかかずに目的地までたどり着けることに気づいてしまった。内臓から冷やす効果ってすごい、賢い食いしん坊へと進化した
出生率とジェンダー平等体制|筒井淳也 note.com/junya_tsutsui/… 「現在のところの「最適解」はどうやらジェンダー平等体制の構築+家族支援政策だが、雇用や家庭がいくらジェンダー平等になっても、人口再生産に責任を持てるセクターがないという近代社会の構造的な問題は残る。」
同感です。英語版吹き替えの「no fear, only love」はその意味をきちんとくみとったすばらしい翻訳。
あの「怖くないから…」は100%、「絶対にお前の嫌がることをしない」という意味だけであって欲しい 仮にドレが童貞だったとしても、女性経験豊富だったとしても、変わらずあのシーンでは「怖くないから…」と言えた人であってほしい あの尊いセリフに、他意はないで欲しい…
外国人に歌舞伎について聞かれて答えられなかった、恥ずかしいと言っていた人がいるけど、歌舞伎は東京や大阪の劇場でしか観れず日本人全体が享受していないと答えればいいのにと思った。終戦記念日や第二次世界大戦でアメリカと戦争したことを知らないのは恥だと思う。
先日、ある大学の授業で「日本文化論」についてお話したとき、この「海外に行った時に、外国人に対して日本のことを十分説明できず、『これは日本人としてまずい』と強く思った」的なのを感じる必要なんてまったくないよ、「それは好きな人は詳しいだろうが、自分は好きでないから知らん」と言おうと
表紙がアル・クーパー!
渋谷さんとの思い出はたくさんありますが、最初の出会いは、私が友人と出版していた「Revolution」という、70年代当時はミニコミと呼ばれていた小冊子を読んだ渋谷さんが、コンタクトをとって来たのが始まりです。この冊子はガリ版刷りで販売していたのを、お金をためてミニコミの体裁にしたものです。
「こんばんは、渋谷陽一です。」というあの挨拶から始まるNHKの番組は、多くのリスナーの夜を変えた。騒がず、飾らず、でも確実に届く。渋谷の声は、今も多くの記憶の中に静かに残っているはず。
当時はまだLPレコードの時代。レコードを買うのは高価で、ロック喫茶で黙って聴く文化があった。だからこそラジオは、地方の若者にとって唯一のロックの情報源。NHKで流れるロックは、全国に響いていた。