かまねこ
@kama2468
大切だけど滅びそうなものが大好き!!例えばオオカミ信仰、例えば牛頭天王、例えば花祭り、例えば山城跡。いっぱい人がお参りして栄えてる神社仏閣は、あんまり…だけれど、人里離れた、人跡まれな山奥にたたずむひっそり神社仏閣がお気に入り…です。最近は古墳や土器にもはまってます。
月末に柳田國男記念伊那谷民俗学研究所にて、「三遠南信のヤマイヌ信仰」と銘打って、発表することになっていて、今、パワポの資料を作ってるんだけど、以前作ったオオカミ信仰のマップを改定してみた。細かい神社などを載せる目的ではなく、日本全体の大きな流れのようなものを表現したかった。

当時の記録を調べた方によると、その文化サロン的な雑何某が「しっぺい太郎の伝説」として文章を寄せたが、その後、違う人が「そんなのは伝承としてない」みたいな批判の文章を寄せたとかいろいろごたごたがあったらしいのだ。裏がとれれば、これはなかなかのお手柄かも(笑)。

で、自分的にトピックだったのが、駒ケ根市の光前寺の早太郎伝説。これ、作られた伝統だったという事が少しずつわかってきた。まだ裏どりしてないんだが、早太郎伝説の静岡版の「しっぺい太郎」は明治初めに、磐田のサロン的な雑誌で、発表されたのが文字化された最初だという事。


一か月がたってしまったが、「三遠南信のヤマイヌ信仰」発表、無事終了。メインは恵那市串原の中山神社の信州での分布、というものだが、長野県全体の各地のヤマイヌ信仰も扱った。(表紙は清川村のニホンオオカミ頭骨の写真を使ったが、差しさわりがあるので差し替え)


「乾闥婆王十五童子」の掛軸を入手した。茨城の高根山大山寺は、むかし子供に心身の不調を引き起こすとされた「疳の虫」を抑えるご利益で知られた現存するお寺。特に乾闥婆王尊は夜泣き・ひきつけ・疳の虫・おねしょの霊験あらたかで関東唯一体の尊像だそうでお軸でも多くの童や動物が楽しそう。
師匠(何人かいるのだ)に論文を送ってほしいとお願いしたら、ついでにこんな資料も送っていただいた。で、これたぶん入手不可能の貴重なもの。遠州の峯入り修行についての展示(みたかったなぁ~~)図録。修験の根源的な東大寺から始まる一大絵巻。むさぼり読む。




柳田國男記念伊那民俗学研究所からこんなお知らせが。いつもの「叢書」からはみ出してしまったようで、別売になるらしいが、会員特価が設定されている。小川直之先生もおっしゃっていたんだが、「日本中でもここまで活発に活動している民俗学の研究会はない」とのこと。所属していて誇りに思う。

この蚕玉様の並びに石祠があった。今まで気が付かなかったんだが、扁額に文字が読める。「~天王」!?よく見ると、牛頭天王じゃないか。へぇ~~ここらでも津島神社ではなく、牛頭天王って言ってたんだぁ~。なるほど。


そこから帰る途中で、ひさしぶりに蚕玉様像も見に寄る。やはり立派だ。近くにいた草取り中の人に何気に聞いたら、「馬頭観音」とのこと。う~~ん、やはりだんだんそうなっちゃうんだろうな。


ちょっと辰野町に行ったので、津島神社の飾りつけを見る。ちょっとこじんまりになったような・・・。輪くぐりもあるし、牛頭天王の幟もはためいていた。



とりあえず奈良県。もう奈良市周辺に集中している。で、三重県はそこから続いての分布。近畿地方で作ろうと思ったが、数の問題で訳が分からなくなりそうだったので、各県ごとにした。それでも訳がわからない感は、しっかり残ってしまった(苦笑)。

今、近畿の摩崖仏の論考に取り組んでいる。で、Xでもおなじみの大心さんのデータをお借りしての分布図だ。数が多すぎて正確な位置というわけにはいかなかったが、だいたいの傾向はわかる感じ。もちろん時代については無視している。ある程度、種類で分けたが、意味があるかどうかはちとわからない。

峰方の隣の集落は「花園」(かぞうの)。西国三十三観音と庚申塔があった。下調べなしで行ってであったので、「おお~~っつ」だった。特に庚申塔は見事だ。千国街道沿いには、観音原の百観音が有名だが、こっちもロケーションで負けてないぞ。




村田町歴史みらい館の企画展「いつもそばには猫がいた」では、お札を刷る版木を15点ほど展示している。表裏反転のパネルを追加製作した。
この長野市⇒鬼無里⇒白馬の道は国道406号。300号、400号代の国道は、主要道ではないけれど、明治期に結構な人通りがあったような道が多い。で、ほぼ明治期のままで残っている感じもある。山中が多く、道が広げられずに馬車道時代のまま残ってるのだ。こういう所は石造物的に穴場なんだよね。




千国街道:塩の道沿いの石造物、特に馬頭観音を見に白馬村へ行った。まず、オリンピック道路で向かい、白馬村に入ってすぐ、峰方の方へと入ってみる。これは、長野市から鬼無里を経て白馬に向かう古道にある集落。一番奥の嶺方の庚申塔と大黒様。


集落の中のこじんまりとした氏神様だ。なんでもこの小園という集落のはじまりの家が、壱岐島から移住してきたということで、勧請したらしい。男衾郡の総鎮守だったとか。なんで遠路はるばる旅してきて、ここに住んだのだろう?? とにかく、へぇ~~だ。

