Emmanuel Etienne 中嶋哲史
@ema_credo
幼児洗礼でカトリック受洗(受洗はカトリック吉祥寺教会)。その後無神論者として神と関わりのない人生を過ごしてきましたが、60過ぎて回心、現在はカトリック上野毛教会所属。信者の方も、信者でない方も、どうぞお気軽にお付き合いください。政治的信条はキリスト教社会主義です。
辛い人、苦しむ人、悲しむ人は一度教会を頼ってみてください。すぐには解決できないかもしれないけれど、あなたに神様の救いがあるように、神父様も我々信者たちも皆で心を込めてあなたのために祈ります。ぼくもいつも祈ってもらっています。教会はとても温かいところです。
受験学力(入試偏差値)にあまりにも偏ってしまった日本の教育では世界を体系的に理解する能力は育ちません。共通一次試験が導入されてからほぼ半世紀、日本人の人格は歪んでいくばかりです。昨今の奇妙な政治家とその支持者たちの出現も当然と言えば当然です。もはや打つ手はなしではありますが。
9条で平和を守れるかではなく、9条で平和を守ろうとすることが大事なのです。平和を守ろうという意志がないなら、核弾頭を何千発持ったって平和にはなりません。
日本は明治以降も、第二次大戦後も、もっと自然に近代化を進めていけばよかったのです。そこに無理があったから反動も生まれた。近代化(西洋化)したって日本という国がなくなるわけでも、日本文化の本質が消えるわけでもなかったのに、意固地な反動が発展を阻害しています。
ええ?参政党から出馬した牧師がいたんだ。ふ~ん。
2025年の #参院選 では、確認できただけで、クリスチャンの候補者が3人立候補していましたが、このうち、立憲民主党の牧山弘恵氏が当選を果たしました。一方、いずれも牧師で、日本維新の会から出馬した神戸輝明、参政党から出馬したローレンス綾子の両氏は落選となりました。 christiantoday.co.jp/articles/34985…
日本人て自分が変わることをひどく恐れる民族だなと思います。自分と異なる意見、文化、外国人などと触れあうと自分が変わってしまう、変えられてしまうと恐れている。確かに他者と関われば多かれ少なかれ自分は変わります。でもそれって悪いことなのか。それだけ自分が豊かになったとは思えませんか。
菅野完さんみたいに「アホの子はその場でしばき倒す」というのも分からないではないのだけれど、「アホの子」も環境の中で適切な教育を受けられなかった可能性が大きいのであって、必ずしも本人に帰責されるべきものでもないと思うのです。やっぱり知的交流の場としての社会教育が必要なのですよ。
リプに返すのはやめましょう。ついつい言葉がきつくなってしまう。神よ、罪深い私をおゆるしください。アーメン
生活に不満を持っている国民がどうして生活を豊かにしてくれる左派政党を選ばず、自分たちを苦しめている原因である支配と搾取の方を支持してしまうのか、本当に不思議です。
国民生活を豊かにするには、①競争力のある産業を育て、経済的豊かさを維持すること、②労働の価値を尊重し、労働者への分配(賃金)を増やすこと、③税負担能力に応じて適正に徴税し、政府の再分配機能を強化して、格差を是正することが不可欠だと思うけれど、極右政権にできるとは思えません。
二項関係では難しいなと思って二者択一にしたのだけれど、この人には二者択一でも難しかったようです。
あれ、二者択一って、どこで言ってた? 想像力逞しい。
日本人ファーストの排外主義者って、どこまでいっても日本人か外国人かの二者択一でしか考えられなくて、人間という概念がないのは本当に驚くべきことです。
神は人間に理性を与えました。それは神の賜物であり、人間にはそれを正しく使う責務があります。確かに理性は戦争を生みました。核兵器も生みました。ジェノサイドも生みました。しかし、それは神から賜った理性の誤った使用以外ではありません。人間が正しくあるには神にたち戻るしかないのです。
少なくとも「民主集中制」はもう時代に合わないでしょう。党の目標理念は「みんなが幸せに生きられる国に」ぐらいのざっくりしたものでいいのですよ。そこへ向けて多様な意見が飛び交う党になった方がいい。議長だの書記局長だの古くさい名前もやめましょう。
共産党の得票数は保守党を下回ったようですね。改名を含めて党の形を抜本的に改める必要があると思います。「共産党は一番よいことを言っている」という評価にいつまでも甘えていてよいはずはありません。
民主主義の本質は多数決ではないと言っても、ことは多数決で決めるのだから、愚かな考えが多数になれば愚かな考えが国の考えとなってしまうのです。それがまさに衆愚でありポピュリズムでありファシズムであるわけです。愚かな考えを多数にしないということがいかに大切かということです。
天皇主権、民主主義の否定、人権など近代的諸価値の否定を掲げる政党があってもいいのですよ。そういう考えは昔から一部にはあるのだから。ただ、そうした普遍性を欠いた時代外れの意見が国政に反映されないようにすることが重要なのです。それが国会の責任です。