ひとひら言葉帳
@kotobamemo_bot
うつくしいことばを紹介しているbotです。詩、小説、短歌など。随時更新中
旅から帰ったあと、同じ場所で、あなたはさりげなく日常を始めます。けれど、旅人は誰ひとりとして、同じところへは戻れない。あなたは常に、前と違うところへ、着地する。そこから日々を開始するのです。/小池昌代「地上を渡る声」
こんな真昼、こんなに怠惰に眠るのは何年もなかったような気がする。眠りは明るく生暖かく、レモンイエローの光を帯びている。/稲葉真弓「繭は緑」
ふわふわの肌は上気してマシュマロのような匂いもしていたがうすべにたちあおいの粘液の匂いなのだろうかバニラの気のとおくなるような匂いなのだろうかふわふわのうすゆきの湧出のみずうみの水の匂いなのだろうか /朝吹亮二「植物譜」
「本当に、標本室に戻ってしまうのかい?」「ええ」「そうかい。じゃあ、もう会えないな。元気でな」「おじいさんも」「ああ」「さようなら」/小川洋子「薬指の標本」
星はめぐり、金星の終りの歌で、そらはすっかり銀色になり、夜があけました。日光は今朝はかゞやく琥珀の波です。/宮沢賢治「まなづるとダァリヤ」
一人になった やっと 自分になれた それで おしまひ 風のやうに 岬が 沖が 地球が 轟々と 廻ってゐるのが よく見える よく聞える /村次郎「行末」
見えないは見えないまま、知らないは知らないまま、そして沈黙は沈黙のまま、ただ相手の中に見えない本質が存在していると想像し、それを信じる心を持つこと。そうして初めて、人はその対象を愛したと言えるのだろう。/伊良刹那「海を覗く」
愛する人の死は怖ろしい。相手への愛の正体があらわになるがゆえに。死にまさる愛ではなかったことが露呈するがゆえに。/シモーヌ・ヴェイユ「超自然的認識」
人間というものは、生きるためには、いやでも死のそば近くまで行かなければならないのだ。いわば捨て身になって、こっちから死に近づいて、死の油断を見すまして、かっぱらいのように生の一片をひったくって逃げて来なければならないのだ。/有島武郎「生まれいずる悩み」
物質の輝き、雨粒でも、紙でも、草でも、物質はなぜこんなに輝くのか、蟻がひきずつてゆく蝶の羽根の破片でも、折れた桟の端から覗いてゐる釘の頭でも、この仄かな夕明かりは物質をなぜこんなに輝かせるのか /松浦寿輝「葡萄の段階」