sabakichi
@knshtyk
Spatial Experience Designer|Design Researcher|Visual Artist|Creative Director|空間体験の企画とデザイン|メディア境界領域における身体と空間にまつわる未踏の体験を設計+研究+デザインしています|知覚表現研究|多摩美非常勤講師|ご相談▷✉️/DM
だいぶ時間が経っていますが「Beyond a bit」のグラフィックデザインについてWebサイトのWorkに記事を追加しました。どういうことを考えて制作していたかの備忘録を兼ねています。インタビュー記事と併せて読んで貰えると楽しいと思います。ぜひどうぞ Beyond a bit | Domain domaindesign.co/work/beyond-a-…
リアルタイムのライブという"テイ"の動画配信のコメント欄で「これが生配信なんてすごい!」と書き込む行為は、二次創作や同人界隈で「出版社と原作者に念のため確認します」という行為と似たような罪深さがあるかもしれない
アニメーションの力って一体何なのだろう、どこからそれは来るのだろうか、ということを最近よく考えている。そもそも絵の魅力もどこから来るのかが不明だ。デフォルメ/簡略化/記号化されることになぜおもしろさを感じるのか。それが制限されたフレーム数で動くことでどうして魅力を感じ心惹かれるのか
あーそうか、熱の発散を考えるとサンダルで街を出歩くということの有効性が高まって都内での活動でも現実的な選択肢に入ってくるのか。ケガのリスク考えて都内では控えていたけど、普通にサンダルで移動するのもありかもしれないな
最初身近な人にいいねを押してもらえていたくらいだったのだけど、気づいたら突然プチバズっていて不思議。拡散力のある方にRTしてもらったとかだろうか?「Twitterの当たり判定がわからない」という表現を使っていた人がいたけど、最近のTwitterはまさにそんな感じ
小学6年生の頃、シオンタウンの音楽が本気で怖くてシオンタウンに出入りするのが嫌で仕方がなかったのだけど、DJピカチュウのおかげでシオンタウンのBGMは「奇しさ漂うイケてるグルーヴ感のある音楽」に昇華されすべての恐怖した記憶が霧散した。腕組みノータッチDJと横に揺れるピカチュウだけが残った
最近望遠寄りのレンズによる削ぎ落とされたフラットなイメージが流通して人気を集めているが、平面的な視覚像が特別に面白いのではなく、立体的な構成を2Dに投影した視覚像を立体として読解する能力が人々にほとんどない&情報が不足しており認知負荷が高い、というだけの話なのではないかと思っている
先日、意識的にカメラを持ち歩かないで外出したところ「ここでカメラがあったらどんな写真が撮れるだろうか…」という思考があらゆる箇所に差し込まれることを発見した。「今日は写真は撮らないで実物を見るんだ」と心の中で返事をすると「後悔しないようにな」とだけ言い残して思考は去っていった
人間にとって裸は特別な状態ではなく洋服をアドオンしなかった場合のオリジナルであり標準なわけだから、何らかその状態を規制する、目にしてはいけないものとする、作成できないようにする、etcetc...といった行為すべてが人間や表現に対する冒涜であるように感じられる
小学6年生の頃、シオンタウンの音楽が本気で怖くてシオンタウンに出入りするのが嫌で仕方がなかったのだけど、DJピカチュウのおかげでシオンタウンのBGMは「奇しさ漂うイケてるグルーヴ感のある音楽」に昇華されすべての恐怖した記憶が霧散した。腕組みノータッチDJと横に揺れるピカチュウだけが残った