fuafua
@fuafua29897704
「義烈空挺隊と共に」 昭和史談会編 (約20年前、各隊生還者から最期の聞取り、文通を纏めた)奥山隊、諏訪部隊 を送り出すための協力応援部隊 整備応援 通信応援、健軍飛行場大隊 飛行第六十戦隊 飛行第百十戦隊、作戦協力した沖縄軍、沖縄軍へ報告した最後の隊員などに興味
RT @fuafua29897704: 20年前田中賢一さんに義烈空挺隊の事を聴きたいと申し込み快諾。市ヶ谷偕行社3階で「何が知りたい」と問われ「546番機に誰が乗っていたのか知りたい」と話すと「それを知る必要はない。未帰還機全員の霊魂があの一機に乗っていたのだから」とのありが…
入隊当初「下士官出身」と言ってた者が 「実は少尉でした」とかいってくる者が 増えて来た 陸士だ幹候だといっても辻褄が合わん者続出 特に外地引揚げ組 わけても本隊が玉砕した部隊出身者は 人事記録も紛失と考えたようだ ところが昭和26年9月15日警察予備隊の分限令で軍歴詐称として全員解雇と

旧軍歩兵操典に基づき訓練開始 27日隊内監視役福岡県警派遣隊の警部から 「米教官来るまでは訓練禁止」とお達し 28日800名入隊 29日米第8軍の少佐と軍曹2名赴任 米軍はジープあるので行軍は無いと 皆期待したが 最初の訓練は行軍から それも無言で久留米街道をひたすら歩く 軍歌唄わせてくれと

昭和25年8月23日 「警察予備隊九州管区本部」へ入隊 マッカーサー元帥の手紙1通で始まった急造軍隊で当時まだ予備隊規則無し武器無し 18〜35歳未満の旧陸海軍将兵大学生民間人とゴチャ混ぜ人員のみ 自己申告で旧軍階級を聴き「少尉でしたならば小隊長」と役職を決めた 海軍出身者は役職遠慮し混乱

銃側準備弾薬 ①応急弾薬筺ト準備弾薬筺ヲ併セ 大型艦600發小型艦300發ヲ準備ス ②弾倉ハ不足ノ為空キ次第 弾薬充填匡デ充填ス 作業場ニハ「マット」ヲ敷ク ③弾薬木箱ノ中ニハ曳光弾ト通常弾ヲ入レ 蓋モ開易イ様ニ螺子2本ノミトス ④空弾倉空薬莢ハ射撃中止時ニ整理 多量ノ打空薬莢ニハ衣嚢ガ便利

雷撃機 ①雷撃機ノ操縦者ハ技量拙劣ニシテ投下距離大最近ハ以前ト比シ積極的ニ雷撃実施 ②使用気速ハ概ネ220ノット程度 ③雷撃距離 対空砲火無 1000〜1500m 対空砲火有 3000〜7000m ④味方防御砲火ノ有効射程3000m附近ノ為 ソノ圏外ヲ悠々ト飛行シ隙ヲ見テ突入スル ⑤指揮官機ノ行動ニ盲従ス

急降下爆撃機(カーチスSB2C1) ①4000〜4500m程度カラ30°デ降下開始 次第ニ60°トシ突ッ込ム ②艦首艦尾方向カラノ襲撃多シ ③編隊デ攻撃ヲ企図スルガ如キ動作中 突如逆方向ヨリ単機デ有効弾ヲ放ツ ④急降下爆撃中モ戦闘機同伴援護ス 註) 日本艦隊では航空機脅威は急降下爆撃機が最も危険と注目

日本海軍機銃戦闘 敵機ノ攻撃 ①敵機ハ我飛行機ノ敵味方識別方法(バンク運動ヤ高度)ヲ真似接近ヲ企図 ②敵機ハ我艦隊周囲ヲ旋回シ最モ有利ナ方向ヨリ攻撃ス挟ミ撃ハ敵各機種共通ノ常套戦法 ③最近敵機ノ連続反復空襲時毎回事ニ 攻撃目標ヲ決メ多数機デ殺到ス ④艦尾、太陽、断雲方向ヨリ来襲スル

「永興丸」大正3年建造石炭船 元北朝鮮航路貨客船850t最高速度7ノット 12糎砲船首7.7粍機銃艦橋爆雷艦尾 武装装備し公試 船首の大砲初弾で砲座が弛み試験打切り 船尾の爆雷初弾で艦底漏水 本日の試験全て中止修理箇所満載 その後開戦 第9根拠地隊掃海艇母艦 19年マラッカにて老朽艦雷撃戦没

第五警特潜基地隊 虎の子特潜3隻は濱辺へ打上げられ 他の3隻は格納庫だが曳き出す設備が波浪で破壊され戦力とならず 我々は敵のキスカ島上陸に備え地雷作り 地雷本体は12糎高角砲の空薬莢 炸薬は特潜の魚雷頭部の黄色火薬を 竹ベラで削ぎ取って詰め 発火は蓄電池 試験をやってみたが中々の威力

翌日夜11時再度敵艦隊と交戦 「魚雷戦同航発射」水雷長の声 1番艦から「溺者アリ救助乞ウ」 ボートから「敵兵ナリ如何スベキヤ」と 「救助セヨ」 蘭軍水兵多く20名ほど英国中尉もいた 彼等の最初の質問「この艦の被害は?」 無いと言うが信じないので案内 砲身ペンキが剥げたくらい 彼等愕然

スラバヤ沖海戦 またピカピカ✨ 今度は頭上をヒュルヒュル飛び越して 艦の後方に巨大な水柱「遠弾」だ これで「夾叉❗️」 演習ならば命中🎯だ 水柱の跡には赤い染料? 敵も着色弾だ 早く我艦も撃って欲しい 「デーン‼️」と咆哮 普段は煩い音だが今日は頼もしい しかし敵も味方も中々当らない

17年2月27日スラバヤ沖海戦 「那智羽黒」が護る輸送船団を襲う敵は デロイテル🇳🇱エクゼター🇬🇧 ヒューストン🇺🇸ジャワ🇳🇱 巡洋艦同士の対決 距離27.000は艦橋から眼鏡で観ると水平線上マストが漸く見える 水平線上がピカピカ✨ 「敵1番艦発砲」 手前に巨大な水柱「近弾」の声 同時にゴロゴロと砲声

クェゼリンの日本海軍第十九航空隊 ミッドウェー海戦での敗報を知り側面援護のつもりで水上機を偵察に発進させた すると奇妙な報告が次々と 本来隠密性を重視する敵潜水艦が各海域で十数隻も浮上走行しミッドウェー方面へ急行していると 敗走する日本海軍への落武者狩りへ急ぐ 米潜水艦群だった

救難船「長浦」 昭和19年2月20日 ラバウルからトラックへの船団3隻 751空の将兵250名も便乗 翌日空襲で2隻沈没 残った「長浦」単艦で救助トラックへ 22日米駆逐艦5隻に囲まれ降伏勧告受くも これを拒絶し「敵軍の手に掛るよりは」と 自決者多数 艦内は筆舌に現せない惨状と 戦後20名ほど生還

救難船兼曳船立神型(長浦ということになっている)が空襲を受けている写真などもあって珍しい。 archive.hnsa.org/doc/id/oni208j…
伊21松村寛治艦長 昭和17年6月豪州東岸敵大型商船を追跡する事4時間 接近すると赤十字を掲げた病院船🚢💦 艦長は「攻撃中止」 「敵は我が病院船を沈めてるではないか」と 艦内はざわついた 艦長は「敵がどんな事をしょうと国際法は国際法だ 病院船と確認した以上人道を無視した攻撃はできない」

最初の英國製潜水艦 魚雷発射時「ファイヤ」と号令 波1.2潜 艦内に🐀を籠に入れ炭酸ガス濃度検知 伊號51潜 第1第2潜望鏡の間に緊急連絡用に 耐圧筒を設け伝書鳩を入れた 筒から出ても鳩🐦は 四周を見渡すばかりで不採用 波7.8潜 初めて無線機装備 無線支柱は竹🎋製 戦利品独潜は鋼製支柱電動起倒式

潜水母艦「長鯨」 南東方面艦隊第6艦隊第11潜水戦隊旗艦 呉を基地として潜水艦訓練に従事 別府から呉への航海途中で必ず耐爆訓練 5〜6隻の潜水艦を「長鯨」近くに潜航させ ドラム缶に爆薬の入った爆雷を投下 爆雷体験を終了後は潜水艦浮上 潜水艦長鯨民間漁船で仲良く 夕食の真鯛刺身の争奪戦

「武蔵」の話 パラオで主計兵1名 島へ逃亡「愛宕」水雷艇が発見 タウイタウイで機関兵1名 逃亡「扶桑」の内火艇が発見 南支那海で機関兵1名 艦内備え付けブイと行方不明 リンガ泊地一等主計兵1名 主計科のみで4日間艦内捜索すも行方不明 已む無く総員集め捜索命令 10分で発見 外短艇庫の重油樽の奥

「捕虜が逃げたぞー‼️」 4月下旬午後3時頃の出来事 捕虜は若い米軍飛行士 ここ沖縄軍軍司令部の衛兵所に捕らえられていた 鉄血勤皇隊の我々は捕虜をみにいった事があった 「奴若いな」「ハンサムだ」 その後「奴は空の飛行機見ては涙流すらしい」と噂 彼は2日後 末吉部落で捕縛 ちと可哀想と
