詳説世界史年表
@chronicle_2010s
約5か月で先史時代から現代へ。引用ポスト大歓迎
1839【英国の対清開戦決議】 英国の全権商務総監エリオットは1839年の林則徐の取締りに対して強固な態度をとり広州近海で軍事行動を開始。同年メルバーン子爵内閣は外相のパーマストン子爵の主導で大規模派兵を決定。議会ではグラッドストンらが反対するが僅差で開戦を可決。https://t.co/OzBdpPKQsC

1839~【タンジマート】 1839年アブデュルメジト1世がギュルハネ勅令を発令。起草者は外相ムスタファ・レシト・パシャ。支援者は英国大使カニング。官僚制を整備し中央集権を回復。徴税請負を段階的に廃止。徴兵制を導入。基本的人権を保障(近代法とシャリーアの併存)。https://t.co/1roqpGUoJO

1839~40【第2次エジプト・トルコ戦争】 英露の支援を受けオスマン帝国のマフムト2世はシリア奪回を期し1839年エジプトと開戦。戦闘はエジプト優勢だったが英国は露普墺とロンドン4か国条約を結びムハンマド・アリーにエジプト総督位世襲を代償にシリアを放棄させた。https://t.co/AMjemzm6eH

1838~43【第1次アフガン戦争とシンド併合】 英国はロシアの中央アジア進出は必至と考えアフガニスタン侵略を決意(グレート・ゲーム)。1838~42年英軍が同国に侵攻するが激しい抵抗に遭い撤退に失敗し全滅。足場固めとしてシンド地方(インダス川下流域)の小国群を併合。https://t.co/G0qUMnkr4j

1838~【清朝のアヘン取締】 1830年代には広州以外からも清にアヘンが流入。度重なる吸引禁止令も効果がなく蔓延し人心は荒廃。道光帝は1838年厳禁論を採用して林則徐を欽差大臣に任命し広州に派遣。林則徐は39年禁令遵守の誓約を拒否した英国商館を包囲。アヘンを没収し処分。https://t.co/bRcCRQnVi9

1830s~【米国の奴隷制廃止運動の高揚】 1830年代、奴隷制廃止の国際的潮流が明らかになると米国でも奴隷制廃止運動が高揚。ガリソンが発行した新聞「リベレーター」やストウ夫人の「アンクル・トムの小屋」、元奴隷ダグラスの自伝などが世論に多大な影響を与えた。https://t.co/nomwWmps8f

1838~48【チャーティスト運動】 英国産業革命を支えた都市労働者による男子普通選挙要求運動が高揚し1838年オコンナー議員らが人民憲章を起草。食糧価格高騰の原因だった穀物法にも反対。署名、ストライキ、デモの手法を用い39年、42年、48年と波状的に高揚するが議会は無視。https://t.co/cMJv1rLdgH

1837【モールスが電信を実用化】 米国の画家。送信側の通信士が送る電流の断絶による信号を受信側の通信士に電磁石の動きで伝達。受信側は紙テープに自動記録する装置に進歩。継電器を用いて長距離の電信を実現。61年北米大陸横断、67年大西洋横断海底ケーブルの電信が実現。https://t.co/afVbFQPnsS
1806~36【エトワール凱旋門の建立】 パリのランドマーク。シャンゼリゼ通り西端。放射状道路の中心エトワール(星)広場に建つ。1805年のアウステルリッツ三帝会戦の戦勝を記念して06年ナポレオンが建立を命じた。新古典主義建築で設計はシャルグラン 。36年落成。高さ50m。https://t.co/zysEfjW9HZ

1833【ドイツ関税同盟成立】 経済学者リスト博士の提唱。プロイセンはウィーン議定書で獲得した飛び地との一体化のため28年ヘッセン大公国と北ドイツ関税同盟を結成。対抗的に南部、中部でも関税同盟が成立。33年全域の関税同盟に合意。物流促進により経済的統一が進む。https://t.co/jKPO5aNbRD

19C【弁証法と唯物論】 正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)の対立が止揚(アウフヘーベン)を生むという弁証法は1837年のヘーゲルの死後青年ヘーゲルのフォイエルバッハにより唯物論と結びつきマルクスが経済(下部構造)が歴史の発展を規定するという唯物史観を確立。https://t.co/JkZ4dllzO9

19C前【英国東インド会社の変質】 1774年以降インド総督の管轄下に置かれていた英国東インド会社は19世紀自由貿易主義の風潮の中で既得権益と腐敗体質を批判され1833年までにアジア貿易独占権を喪失。商業活動を停止し領土を政府に委譲。インド統治の請負会社として存続。https://t.co/p2vUWnj7dG

19C以降【インド人労働者が英領植民地に移送】 黒人奴隷に代わる労働者として中国人苦力と並んでプランテーションや港湾などで使役された。年季雇用の形式をとり扱いは過酷。帰国せずそのまま現地に移民した者も多かった(印僑)。移送先はマレー半島、南アフリカ、南米など。https://t.co/iRoXv8NLWS

1833【英国が奴隷制度廃止】 1823年英領ガイアナ、31年英領ジャマイカで大規模な奴隷反乱が発生し英国内で奴隷制廃止運動が高揚。議会内で産業資本家層の自由貿易派が伸張しプランターは後退したことで33年奴隷制度廃止法が成立。34年大英帝国内の80万人の奴隷を解放。https://t.co/67teFe6UIa

1832【米国で民主党結成】 1828年米英戦争とインディアン討伐の英雄ジャクソン元少将が大統領に当選。32年民主党を結成。既得権益層を攻撃するポピュリズム的手法で農民、労働者の支持を得た(ジャクソン流民主主義)。政策は農本主義、自由貿易、奴隷制維持、領土拡大など。https://t.co/w3BlCZKid8

1831~33【第1次エジプト・トルコ戦争】 オスマン帝国のマフムト2世はエジプト総督ムハンマド・アリーのシリアの統治権要求を拒否。1831年開戦。エジプト軍はシリアを制圧しアナトリア半島に迫る。ロシアの介入を警戒した英仏の仲介で33年講和しエジプトはシリアを獲得。https://t.co/aViGZhAsBb

1830~70【ジャワ島の強制栽培制度】 1830年オランダの東インド総督ファン・デン・ボスは村落にコーヒー、サトウキビ、藍、タバコなどの栽培を割り当てて低額で買い上げ莫大な利益をあげた。ベルギー独立で危機に陥った本国の財政を救ったが告発書により批判が高まり70年廃止。https://t.co/7n1xnHukdb

1830~65【パーマストン外交】 ホイッグ党のパーマストン子爵は1830~51年の間、断続的に英外相を担いアヘン戦争など自由貿易主義を強硬に拡張する砲艦外交を主導。クリミア戦争中の55年首相就任。56年アロー戦争を起こし57年インド大反乱鎮圧。59年自由党を結成し2度目の組閣。https://t.co/i61vwE8tRq
