ふひとべのべ
@benobe5858
九州南部の歴史について調べたり、何か書いてみたりしています。ときどき城跡にものぼります。神社にも興味あり。ブログ『ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。』で記事を配信。鹿児島の歴史に興味のある方はのぞいてみてください。 Amazonのアソシエイトとして、[ふひとべのべ]は適格販売により収入を得ています。
『三州大乱そして下剋上/南九州戦乱史1 南北朝争乱から島津貴久の覇権掌握まで』という電子書籍をamazonのkindleで出版しました。「Kindle Unlimited」でも読めます。 #島津氏 #kindle #歴史の本 島津忠良以前の南九州の歴史(14世紀とか15世紀とか)は、すごく面白い! rekishikomugae.net/entry/2025/03/…
「畠山重忠屋敷跡」という標柱もあった。「本田近常屋敷跡」の標柱の、道路をはさんで向かい側に。 これは何だろう? さすがに畠山重忠は薩摩に来ていないと思うんだけど。 #畠山重忠 #木牟礼城 #高尾野 #出水市 #鹿児島
「本田近常屋敷跡」の標柱があった。薩摩国山門院の木牟礼城跡の近く。 #高尾野 #出水市 #鹿児島 #本田近常(#本田親恒)は畠山重忠の側近。子の #本田貞親 は #島津忠久 に仕え、薩摩に下向したとされる。本田近常(本田親恒)は島津忠久の薩摩入りの前にこの地を調べにきた、とも伝わっている。
「本田近常屋敷跡」の標柱があった。薩摩国山門院の木牟礼城跡の近く。 #高尾野 #出水市 #鹿児島 #本田近常(#本田親恒)は畠山重忠の側近。子の #本田貞親 は #島津忠久 に仕え、薩摩に下向したとされる。本田近常(本田親恒)は島津忠久の薩摩入りの前にこの地を調べにきた、とも伝わっている。
薩摩国山門院の木牟礼城。「きのむれ」と読む。12世紀末頃に惟宗忠久(島津忠久)の命令で、配下の本田貞親が築城したとされる。島津氏の薩摩での最初の拠点だ。島津忠久は鎌倉にあり。本田氏が代官として入り、領国支配を任されたと考えられる。 #木牟礼城 #島津氏 #高尾野 #出水市 #鹿児島
伊地知季安は伊勢貞休の次男で、#伊勢氏 から #伊地知氏 に養子として入った。また、父も #本田氏 から婿養子として伊勢氏をついでいる。 従兄に #本田親孚 があり、こちらの加冠で伊地知季安は元服。本田親孚は薩摩藩の記録奉行を務め、『薩藩名勝志』などを手掛けた人物でもある。 #伊地知季安
『旧記雑録』を編纂した伊地知季安の生涯は波乱万丈だ。政争に巻き込まれて喜界島に配流。鹿児島に戻るもずっと無役。在野の学者として研究に打ち込んだ。著作を藩に没収されるが、それが島津斉興の目に留まる。実力が認められて再仕官。のちに記録奉行にも任じられる。 rekishikomugae.net/entry/2023/04/…
島津貴久を支持したくない13人。天文10年(1541年)、結託して戦いをしかける。 島津忠広(豊州家) 北郷忠相 本田薫親 肝付兼演(加治木肝付氏) 祁答院良重 蒲生茂清 入来院重朝 東郷重治 伊地知重武 廻久元 敷根頼賀 上井為秋 禰寝清年 #島津氏 #島津貴久 #13人 rekishikomugae.net/entry/2021/12/…
大隅国の生別府城跡。「おいのびゅう」と読む。のちに長浜城と改称。小浜海岸の干潟から見る。 天文10年(1541年)、本田薫親らが囲む。生別府城は樺山善久が守っていた。島津貴久は救援に動くが……。 #生別府城 #長浜城 #樺山善久 #島津貴久 #隼人 #霧島市 #鹿児島県
島津貴久を支持したくない13人。天文10年(1541年)、結託して戦いをしかける。 島津忠広(豊州家) 北郷忠相 本田薫親 肝付兼演(加治木肝付氏) 祁答院良重 蒲生茂清 入来院重朝 東郷重治 伊地知重武 廻久元 敷根頼賀 上井為秋 禰寝清年 #島津氏 #島津貴久 #13人 rekishikomugae.net/entry/2021/12/…
薩摩国山門院の木牟礼城。「きのむれ」と読む。12世紀末頃に惟宗忠久(島津忠久)の命令で、配下の本田貞親が築城したとされる。島津氏の薩摩での最初の拠点だ。島津忠久は鎌倉にあり。本田氏が代官として入り、領国支配を任されたと考えられる。 #木牟礼城 #島津氏 #高尾野 #出水市 #鹿児島

日置の熊野神社。旧称は熊野三所権現社。島津忠久(惟宗忠久)により勧請されたと伝わる。 島津忠久が薩摩に下る際に海が荒れ、熊野権現に祈願したところ無事に着くことができた。そこで配下の中原坊(山伏か)に熊野社を勧請させたという。中原氏は代々ここの別当を務めた。 #日置 #日置市 #鹿児島

薩摩国祁答院の西牟田城跡。城跡の麓は「上手桜渡し公園」として整備されている。久富木川ごしに城跡が見える。慶長19年(1614年)に西牟田祐彬が築城し、居城にしたと伝わる。この人物は日置島津家の島津常久の重臣だという。 #西牟田城 #日置島津家 #大村 #祁答院 #薩摩川内市 #鹿児島県
薩摩国日置の桂山寺跡。島津忠隣の墓所がある。島津忠隣は日置島津家の2代目にあたる。薩州家の島津義虎の次男。島津歳久の娘婿で、その後継者とされた。天正15年(1587年)の根白坂の戦いで討ち死にした。 #桂山寺跡 #島津忠隣 #日置島津家 #島津氏 #日吉町 #日置市 #鹿児島県
草牟田の鹿児島神社にて。石灯籠は天保8年(1837年)に島津久風が奉納したもの。この人物は日置島津家の当主で、藩の家老だった。天保8年には薩摩国の山川港に異国船が現れた(モリソン号事件)。島津久風はこの対応にあたった。 #鹿児島神社 #島津久風 #モリソン号事件 #鹿児島市 #鹿児島県
「拍子橋伝説の碑」。#国分 #霧島市 #鹿児島 『三国名勝図会』によると、こんな伝説があるという。 景行天皇と日本武尊がこの地に入り、隼人城・上井城にたてこもる隼人の首領を攻めた。城は落ちず。天皇らは神楽を催す。その拍子が楽しげで、隼人が城から出てきた。そこを討った、と。
「隼人の七隈」というのがあったと伝わる。七隈のひとつの「隈崎」が、久満崎神社のある山だとされる。かつては山上に祀られていた。御祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)ほか一柱不詳。このもう一柱は隼人神とも。 #久満崎神社 #隼人 #国分 #霧島市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2023/01/…
幕末の薩摩藩の家老。優秀な人物が多いですよね。たとえば、こんな面々。 喜入久高(喜入摂津) 小松清廉(小松帯刀) 桂久武 新納久脩(新納刑部) 岩下方平
#コアラ 飼育にゆかりのある #指宿 市。温暖な環境であるため #ユーカリ の栽培に適しており、冬期の供給先になっています。#指宿市図書館 でコアラについて紹介するイベントを開催します。暑くてお家でダラダラしている方、よかったら聞きにきませんか? 詳しくは→ minc.ne.jp/ibusukilib/eve…
薩摩国日置山田領主の山田有親は薩州家方から相州家方に寝返る。しかし、二心ありと疑われて島津忠良により誅殺された。島津忠良はこのことを後悔し、遺児の山田有徳を山田の地に復帰させた。で、山田有徳の子は山田有信、孫は山田有栄。この一族は島津氏にとって重要な働きをすることになる。
日向国の新納院高城はなかなか落ちない。城主は山田有信。天正6年(1578年)に数万の大友軍に囲まれても死守する。天正15年(1587年)に豊臣秀長の大軍勢(10万以上か)に攻められても持ちこたえた。 #新納院高城 #山田有信 #木城町 #宮崎県 rekishikomugae.net/entry/2022/08/…
『だんドーン』最新単行本8巻は本日から大好評発売中です! みなさまお忙しい時とは思いますが、書店での電子でも、ぜひよろしくお願いします! 初版には、泰三子氏描き下ろしの維新志士トレーディングカードが封入されています! よろしくお願いします!
山田有信の供養塔。国分の向花(むけ)の山崎墓地内にある。六地蔵塔かな。塔柱には「山田越前入道」と法名の「利安慶哲居士」の文字が確認できる。鹿児島の福昌寺に葬られ、こちらには分骨が納められているとのこと。 #山田有信 が守る城は、とにかく落ちない。島津家の籠城名人だ! #霧島市 #鹿児島
日向国の新納院高城はなかなか落ちない。城主は山田有信。天正6年(1578年)に数万の大友軍に囲まれても死守する。天正15年(1587年)に豊臣秀長の大軍勢(10万以上か)に攻められても持ちこたえた。 #新納院高城 #山田有信 #木城町 #宮崎県 rekishikomugae.net/entry/2022/08/…
タノカンサァが田んぼの端のほうに。火神・水神と並んで一帯を見守っていた。鹿児島県霧島市国分川内にて。 いつ頃につくられたものかはわからないけど、けっこう古そう。 #田の神 #たのかんさぁ #タノカンサァ



「神代聖蹟 西洲宮址」碑。肝付宮下(みやげ)の桜迫神社の境内にある。西洲宮(にしくにのみや)はヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトの宮居。この地は伝承地とされる。 昭和15年(1940年)の「紀元二千六百年記念行事」で鹿児島県が聖蹟に治定。昭和17年に建碑。 #神代聖蹟 #肝付町 #鹿児島
桜迫神社。鹿児島県肝属郡肝付町の宮下(みやげ)に鎮座。もともとは六所権現社と称した。ここにはヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトの宮居跡という伝承がある。神武天皇が育った場所とも。 #肝付町 #鹿児島 ブログにて記事にしました。 rekishikomugae.net/entry/2025/01/…
鳥神尾(戸神尾)。 永禄12年(1569年)5月6日、島津氏と相良氏・菱刈氏連合軍が戦う。島津家久の囮部隊が大口城の兵を挑発して引っぱりだし、鳥神尾の西に誘い出す。新納忠元・肝付兼盛・大野忠宗・宮原景種の伏兵で囲んで大勝した。 #鳥神尾の戦い #戸神尾の戦い #釣り野伏 #大口 #伊佐市 #鹿児島