野口実 Minoru Noguchi
@NoguchiMin10356
京都女子大学名誉教授 同 大学宗教・文化研究所客員研究員 文学博士 日本中世前期 政治・社会史専攻
野口孝子『平安貴族の空間と時間―藤原道長の妻女と邸宅の伝領―』(清文堂出版、2024年6月) 『史学雑誌』の「回顧と展望」に、この本に関する紹介・コメントが見つからなかったのを残念に思っています。 『日本歴史』や『古代文化』、『京都民報』に書評・紹介記事が載っています。
野口孝子『平安貴族の空間と時間―藤原道長の妻女と邸宅の伝領―』(清文堂出版、2024年6月) 『史学雑誌』の「回顧と展望」に、この本に関する紹介・コメントが見つからなかったのを残念に思っています。 『日本歴史』や『古代文化』、『京都民報』に書評・紹介記事が載っています。
野口孝子『平安貴族の空間と時間―藤原道長の妻女と邸宅の伝領―』(清文堂出版、2024年6月) 『史学雑誌』の「回顧と展望」に、この本に関する紹介・コメントが見つからなかったのを残念に思っています。 『日本歴史』や『古代文化』、『京都民報』に書評・紹介記事が載っています。

源頼朝の娘。政子所生の大姫と三幡のほかに、大宮局の産んだ「仁和寺姫御前」という人がいたことは知られていない。男子で大進局の産んだ貞暁は知られているのに、こちらについては歴史好きの方たちもけっこう無関心である。頼家の娘の竹御所にも、つい最近までは関心が向けられていなかった。
『明月記』を読んでいたら、真面目に働いているのに不運な男に遭遇。 藤原定家の雜色光沢。正直を買われて下総の三崎庄(今の千葉県銚子市の辺り)に遣わされ、地頭から最下品の馬二匹をもらったが、上洛途上、水難に遭って失う。翌年には、木から落ちて足を痛め、定家に「尤為狂風物悪」と評される。
これは、今もそうであってほしい。 「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉を聞くと京都人は強烈な違和感を抱く。そんな、忌み嫌われるべきものが華となる江戸は想像を絶する異次元世界だというのである。 《参照》山田邦和『カラーブックス京都』(保育社、1993)
『日本歴史』の学界消息欄に、日本中世史の重鎮だった笠松宏至氏とともに、繁田信一さんの訃報が。繁田さんはまだ56歳。昨年、NHKBSの番組収録でお目にかかり、新刊の御著書を頂きましたが、まさに一期一会でした。 繁田さんのご冥福をお祈り申し上げます。

NYに行った時、多様な人種の中で妙に楽な気分になった事があります。でも、アメリカで長く生活していた友人・知人からは差別を受けた話を聴きます。 子どもの頃、テレビで西部劇を見ていて、ふと気づいたことがありました。あの場面に自分がいたら撃たれる方のインディアンなのだと。
野口孝子氏『沈思する月 后の私設秘書 紫式部』㉟「上東門院彰子」。 連載は10月まで続くとのこと。 朝日カル千葉教室で開かれている野口孝子氏の『小右記』講座は9月で終了。この秋から千葉のNHK文化センターで内容の継続した講座が開かれます。朝カル川西教室の講座は従来通りとのことです。

それでなくとも、まっとうな日本史研究者として自立するのが大変な時代に、地道な研究を積み重ねてもそれが理解されない、社会還元の方途すら見つからないようでは、研究者を志す若い人は消滅してしまうだろう。我が国がこんな有様なら、留学生に日本史研究の成果を継承・発展させてもらうしかない。
フェイク横行・ファクト軽視の時代。なかなかに論を立てられず、実証的作業しか能のない私のような歴史研究者は草葉の陰でうそぶくしかないことになるのだろう。
外国人移住者の問題。13世紀に関東御家人が農民も引き連れる形で大挙して西遷したときの状況と比べると似たような問題があったのかも知れない。もっとも、このとき、東国武士は支配者としての権利を帯びて入ってきた。しかし、在地支配が上手くいかず、幕府に所領の変更を求めた地頭もいた。